社説 地域持続 担い手の自負を マイクリップに追加
新型コロナウイルス感染症の猛威はとどまることを知らず、日本列島に感染拡大の大波が再び押し寄せてきている。全国の感染者数は一日当たり2000人を超え、首都・東京では警戒レベルが最上位に引き上げられるなど、不要不急の外出等を余儀なくされる危険水域が近づいてきた。
わが国の水道事業は、少子化や過疎化による給水収益の低下をはじめ、施設・管路の老朽化進行、専門知識を要する水道職員の減少など大きな課題を抱えるなか、長期人口減少社会への対応が求められる新たなフェーズに入っている。
幕末の開国以来、コレラ等水系伝染病の頻発により「有圧送水」「ろ過処理」「常時給水」を軸とした近代水道は都市化の進展と相まって普及拡張路線をひた走ってきたが、時代は省力・共用・再整理に変貌しつつある。130年余の近代水道史上、稀にみる大転換が求められていると言えよう。これらを背景に2019年10月、水道の基盤強化を目的とする水道法の一部を改正する法律が施行され、人口減少社会における持続可能な水道サービスの創生へ挑戦できる環境が整った。
施行から1年が経ち、この間に自然災害の頻発化・激甚化によって防災・減災、国土強靱化に対する高い国民要請も重なり、基盤強化への潮流が形成できたと思いきや、新型コロナウイルス感染拡大に文字通り水を差され、中長期的視点に立った「攻め」の大転換から、水道料金の減免措置など感染症対策へと「守り」の対応に変化せざるを得なくなってしまった。
さらに11月に開催が予定されていた日本水道協会全国会議や水道展がコロナ禍の影響で中止を余儀なくされ、水道界が課題認識と解決に向けた方向性を共有する貴重な場が失われたのは初めての経験であった。基盤強化の歩みの停滞は、いつでもどこでも安全で安心な水が飲める水道文化の衰退を意味する。だが、コロナ禍で先行き不透明な時代となってしまったからこそ、改めて水道法第一条に規定されている「清浄にして豊富低廉な水供給を図り、公衆衛生の向上と生活環境の改善に寄与する」という水道事業の本質を改めて見つめ直し、国民生活の根底を支えるエッセンシャルワークとしての使命と責任の重さについて認識を深める必要があるのではないだろうか。
1945年8月6日、人類史上初めての原子爆弾が広島市に投下され、爆心地周辺の地表面温度は3000~4000℃にも達し、広島の街は強烈な爆風と熱線等により一瞬で真っ赤に染め上がってしまった。当時186名が在席していた広島市水道部(現広島市水道局)では基町庁舎(当時)の全職員が犠牲になってしまうなど83名の尊い命が奪われてしまい、同時に水道施設も壊滅的な打撃を受けた。その中で、火傷を負いながらも職場に駆け付けた職員が、壊れた送水ポンプを応急復旧して水を送り続け、水を求める市民の渇きを助けた。その職員は戦後に広島市発行の手記で「あの非常時、水のありがたさとともに、自分たちの任務の重大さを感じた」と書き残している。
わが国は国民皆水道の旗印のもと、給水人口1億2650万人、普及率98%と国民のほとんどが水道サービスの恩恵を享受でき、今や蛇口をひねれば当たり前のように安全な水が飲める生活衛生環境となっている。一方で、ユーザーは当たり前がゆえに存在そのものへの認識が薄らいでおり、それに伴ってエッセンシャルワーカーとしての供給責任に対する緊張感が弱まってきてはいないだろうか。
5Gの登場により高速インターネットやクラウドサービス、人工知能などのITの進化から生活やビジネスの質を高めていくデジタルトランスフォーメーション(DX)の推進が求められている。マンパワーが絶対的に不足していく人口減少社会の中で生産性を向上させていくことを考えれば、この流れを取り入れてデジタル化を進め効率性・利便性を追求していかなければならない。反面ヒューマニティを欠いてしまえば命の水を供給する水道事業の本質から外れ、その結果、広域化も官民連携も実現できなくなる。相手の視点に立つことができないデジタル化は真の共感を生まないだろう。だからこそ、お互いに理解を深めることができる対面のコミュニケーションを大切にしたアナログとデジタルの両輪で臨むべきだ。
今はまさに国難の渦中。だからこそ水道の仕事に携わることの意味をもう一度見つめ直し、地域の持続の担い手であることの自負を深めていくことが求められている。成長型マインドセットを図り、基盤強化ロードを導き出すことが、一つの解法ではないか。