社説 復興を水道再生の道標に マイクリップに追加
2011年3月11日14時46分、宮城県牡鹿半島の東南東沖130km、仙台市の東方沖70kmで三陸沖の海底を震源とした巨大地震は最大震度7の激震に加え、巨大津波が東京電力福島第一原子力発電所事故を誘発し、未曾有の複合災害に姿を変えた。
東日本地域を絶望と悲劇の渦に巻き込んだ東日本大震災から10年の歳月が過ぎるが、未だ2527人の行方不明者がいることを忘れてはならない。政府が定めた当初の復興・創生期間が今月末で終わり、新たに5カ年の第2期復興・創生期間がスタートする。多くの被災地が自立へ向けて本格的に歩み出す一方で、原発事故に見舞われた福島の再生は遠い。
時の経過に加え、新型コロナウイルス感染症により恐怖と不安な日常を強いられる中、被災地と関係が薄い住民にとって、大震災の記憶が遠のきつつあることは否めない。だからこそ、10年という節目となる2021年は、これまでの取組みを検証し、真の復興のあり方を改めて考える機会としたい。
復興庁の今年1月末時点での取りまとめによれば、通常の災害査定に基づく水道施設の本復旧・復興工事は184事業のうち181事業で完了している。一方、自治体の復興計画が定まらず、早期に復旧方法が確定できなかった地区では平成25年度までに特例査定が実施されたが、工事が完了しているのは46事業のうちわずか22事業に留まっている。金額ベースでみると、2月末時点で特例査定分の実施計画協議額は約887億円、これに対して保留解除額は約758億円で、復旧工事進捗率は85.5%となっている。分母となる協議額の変動もある。まずは数値と実態の間にある「遅れ」の照査が必要となる。
水道施設の復旧事業はまちづくり事業の終盤に実施されるため、用地交渉をはじめ、土地造成や道路工事などの計画変更による遅延、工事の長期化などが負担として重なる。これらの諸条件に事業実施が大きく影響を受けるため、完了の見通しは不透明となっている。さらに全国的な人口減少に加え、地域を悩ませてきた過疎問題、住民の帰還とも絡み合う。多くの被災地では、震災前の人口には戻らず、従来から進行していた過疎が早回しとなった。
全国のこれからのまちづくりにおける震災被災地の教訓として、客観的な分析を疎かにした、希望的観測による過剰投資の時代は終焉を迎えたと言えるだろう。
防災・減災に今から全力を挙げて取り組んだとしても、想定を超える災害の発生は避けて通れない。復旧・復興を余儀なくされる局面に遭遇した場合には、ハード面の再建を優先する旧来の復興だけではなく、これからは地域ごとに身の丈に合ったオーダーメイドの再生を創造するソフト面の取組みが不可欠となる。
災害に遭遇せずとも、人口構造の変化も一つの「再生」の局面となる。給水人口に比例した設備投資が求められる水道インフラにおいては、人口減と高齢化が進む現実を踏まえた将来像を描く必要がある。まさにこの10年で被災地が経験したことが「再生」の教訓となる。水道事業体と地域住民が主体的に話し合い、水の輸送方法や要求される水質、浄水処理レベルなどそれぞれの地域の最適解を自らの手で導き、将来も持続可能な水道インフラを築かなければならない。日々、水道事業の持続へ前向きに歩む地域に対し、国は優先的に財政支援を行い地域の自立を後押しすべきだ。
目に見えぬ新型コロナウイルス感染症の長引く猛威によって、被災地が国民の関心から置き去りにされてしまう不安はぬぐい切れない。去る2月13日には、福島県沖を震源とするマグニチュード7.3の大型地震が発生した。あらためて地震と巨大津波の記憶が蘇ったのではなかろうか。
気象庁は、この福島県沖地震は東日本大震災の余震であり、余震はまだ10年ほど続くとの見解を示している。10年前に本震と大津波を経験した被災住民の心が休まるはずもなく、不安と隣合わせの生活が続いている現実を忘れてはなるまい。時の流れとともに見えてきた風化への兆しに対する、「収束してはいない!」という自然界からの警鐘にも聞こえる。
東北の復興なくして日本の水道の持続なし、と言っても過言ではない。水道界は被災地の現実を今一度見つめてほしい。できるならば、最前線での支援を通じて体感してほしい。震災復興は被災地だけの問題ではなく、水道の未来図の鍵を握っている。だからこそ震災の記憶を決して風化させず、後世に教訓を語り継ぎ続けなければならない。