社説 教訓を形に 今を担う者の使命 マイクリップに追加
インフラを社会変化に適応させていくことが、いまインフラを担う者の使命である。
1995年1月17日5時46分、淡路島北部を震源とした巨大直下型地震は、日本の近代化を牽引してきた異国情緒豊かな国際都市を凄惨な姿に変え、戦後の高度経済成長、そしてバブル期を経た都市のあり方、日本人のあらゆる価値観を大きく変えるものとなった。
地震動による建物崩壊に、断水による火災の延焼拡大などで多くの尊い生命と財産が失われ、避難者はピークで31万人超に達した。一刻も早く水を求める状況の中で、地域に張り巡らせていた送配水機能が大きな被害を受け、水道の復旧には3カ月を要した。
復旧には、日本水道協会が中心となり、全国の水道関係者が支援に駆けつけ、その後の水道界における災害時連携の枠組みの基礎ができあがった。あらゆる構造物において「耐震」という概念が一般化され、神戸はその後の復興を遂げていく中で被災の教訓を形にした。
今年元日、能登半島地震が発生した。そして地震から264日後、復興の緒に就いた被災地を豪雨が襲った。復旧・復興を着実に進めていくしかないものの、能登地方に暮らす人々、そして能登地方への支援者、能登に思いを寄せる多くの人々が苦悩している実情がある。能登で生じている事象は、30年前の神戸と同様に、地域社会におけるインフラの価値観を変える教訓を残している。
災害対策だけではなく、人口減少、気候変動、地方の衰退という環境変化にいかに対峙していくかを問うその教訓は、今を生きるわれわれに重くのしかかる。
今年4月、水道行政の所掌が国土交通省と環境省に移管され、政府は、水道・下水道一体で〝市民目線〟の施策推進を図る。能登の復旧・復興対応とも連動しながら、日本の水道が大きな転換点に差し掛かってきたことは間違いない。
こうした中、10月9日から日本水道協会全国会議が大災害の教訓を都市の姿として具現化した神戸で開かれ、産官学の水道人が集う。新たな時代の分岐点において、全国の水道人を引き寄せる日水協の求心力を最大限に発揮する時である。
能登半島地震は、水道への社会的関心を急速に高めた。7月には岸田文雄前首相が水道施設を視察し、「上下水道耐震化計画」の今年度内の策定・更新を自治体に求めるよう国交省に指示した。合わせてDX実装、ウォーターPPPの推進、流域一体での脱炭素化等を図るべく、流域総合水管理の実現へ、水循環基本計画を前倒しで見直す考えを示した。
施策はスピード感を持って動いた。国交省は「上下水道耐震化計画」を来年1月末までに策定するよう要請。新たな水循環基本計画は8月末に閣議決定された。こうした取組みを裏付けるように、令和7年度の政府予算概算要求の水道関連予算は幅広い拡充が図られた。
能登の未曾有の災害、そして国の水道行政移管は、水道界への社会の眼差しを確実に変えている。制度、予算においても行政移管後のわずか半年で大きな変化が現れ、水道事業体の実情を踏まえた〝市民目線〟の水道へとさらに大きく動き出そうとしている。政府の重要政策となる国土強靱化実施中期計画策定の動きも相乗効果となり、この潮流はより激しさを増していくだろう。
こうした流れに対し、水道界は、呼応だけではなく、能動的に動いていかなくてはならない。
今年の日水協全国会議では、初の取組みとして市民PRブースが設置される。全国の水道事業体とともに市民の理解を糸口に、水道の基盤強化を図る機運を一層高めていかなくては、水道の明るい未来は危うきものとなる。
そして、今回の日水協全国会議を契機に、水道界における災害対応のバイブル・日水協の「地震等緊急時対応の手引き」の改定議論が動き出すであろう。本手引きは、阪神・淡路大震災の災害支援が契機となって策定された。震災から30年を経て、再び神戸の地から議論が動き出すことになる。
能登で相次いだ災害は教訓を与えるだけでなく、支援を支える現場の脆弱性を覗かせている。担い手が減り、全国の水道事業体、管工事業者等の民間企業の体力も低下してきている中、来たる国難級の災害に対応できるのか、現実を直視して現状の〝連携〟のあり方を真剣に再考する必要がある。
百年の計たる水道インフラゆえ、求められる変化を形にしていくことは簡単なことではない。水道は事業体のものではなく市民のためにあるインフラだ。だからこそ、今を担う水道のプロフェッショナルが集う神戸の地で、使命と方向性を共有し、実践に繋げる真なる議論の場となることを期待したい。